ミッチ―は、第二子ご懐妊するも、胎児がブドウ状に奇形化し掻把することになりました。第二子ご流産(掻把)のあと、ミッチ―は、半年の静養に入ります。
その前後で、別人に、あるいはダミーと入れ替わったかもしれません。
あくまで検証ですので、ご判断は読者様の皆様にお任せします。
耳の比較について、、、
お年寄りになると、耳が長くなったり、多くなったという証言がありますが、耳の穴の位置は、頭蓋骨と関係があるので、そう簡単には移動はしないと思われます。
耳の穴の位置は頭蓋骨の形で決まるので、生涯変わらないはずです。
ただ、加齢の結果、耳と比べて顔の肉がそげたり、弛んだりしますので、その比較上、大きくなったように見えたり、長く伸びたようにみえることもあるのではとおもいます。多少、頭皮や皮膚のたるみや、重いイアリングやピアスを長年つけ続けていると、多少は伸びたりすることもあるとおもいますが、まったくの他人の耳のようにはならないと思います。
あくまで参考までに。
※画像は主に、雅子様大好きさまよりお借りしてます。
http://masakosamalove.blog.fc2.com/
第二子流産後の長期御静養の【前】
1959年4月 ご成婚式
第二子流産後の長期御静養の【後】
1963年7月8日
スリムで姿勢がよくなりました。首がまっすぐになってる???かな???
第二子流産後の長期御静養の前
1959年4月
極端な猫背でしたね。
第二子流産後の長期御静養の後
1963年11月
姿勢がよくなってますね。耳が小さくなりました。
第二子流産後の長期御静養の前
1963年1月 御里帰り
第二子流産後の長期御静養の後
1963年7月
鼻と顎が変りましたね。
比較していきます
一方、あれれ、と思う画像もあります。
1962年11月フィリピン訪問 ご流産・長期ご静養の前です。
唇が上下同じ太さでドーナツ型です。上唇の中央に「M」のくぼみがほとんどない、大きな口。シャープなとがった顎。薄手の顔立ち。華奢な体格。
ちなみに、ご成婚前のみっちーです。
1959年ごろ、お妃教育時代
上唇が薄く下唇が豊かで小さな口。
右目の黒目にあわせて重ねています。
耳が、、骨格が、、、、ブレブレ(笑)
この人も、アレレと思う人です。特徴のある口してますね。
お化けのQ太郎のようなドーナツ唇。
小判型の耳。斜めについていますね。
垂れぎみの鼻が、今のミッチ―に似ていますが、今もミッチ―とは、耳が違います。
今のミッチ―の耳は、垂直についています(左)。
この方は斜め45度に刺さっているようにして、ついてますね(右)。
1962年8月 長期御静養前
そしてこちらも、上唇が太くて、小判型耳の美智子様。
縮れ毛というのでしょうか、髪の毛の質に特徴がありますね。
1962年10月 長期ご静養前
そして、この方、昭和後期の小耳の美智子様に似てます。
顔の幅が明らかに違います。整形でしょうか?口が大きいような??
左の黒目に合わせて重ねています。ご成婚前のミッチ―がはみ出しています。
整形かな??それとも、別人なのかな??
ご判断はおまかせします。
1963年3月22日
流産の手術のため、宮内庁病院へむかう美智子様。苦悩がうかがえます。
こちらの美智子さまは、御成婚当時の耳と横顔が同じです。
そして、ミッチ―は、手術のあと半年間の御静養に入ります。
それ以来、ご成婚パレードの主役となった、猫背のミッチ―のお姿は見られません(たぶん)。画像を、探してます。
もしかしたら、見つかるかもしれません。
整形しまくってて、原型をとどめてないのかも。
その時は、ご紹介しますね。
※伏見氏のブログよりお借りしてます。
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/67256663873062c840afd277dbda69e
動画にempressと言う表現が有ったので、在日フィリピン大使館に抗議の電話を入れました。
「美智子は国際法上は、皇后でも、皇族でもなく、天皇と同居しているだけの日本の最下層出身の女ですから、Michiko syoudaと呼称を改めてください。」
大使館職員「それは、良く知っています。こちらもわかっていてああしたのです。ご理解ください」との見解でした。フィリピンもちゃんと事実を理解してくれていてよかったです。
(ここまで)
大耳のミッチ―。耳が長方形型で長い耳です。ほぼ、垂直になる形で顔についています。
しかも、この人。皇室会議でみとめられ、明仁親王妃になった皇籍にある美智子さんとは、全くの別人かもしれないのね。
あくまでも噂でーす